訪問日:15-NOV-2009
概要
平林寺(へいりんじ)は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金鳳山。修行道場として僧堂が設置されている。境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されている。
金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。
命名の由来
「金鳳山」と名付けられた山号は、かつて石室禅師が元(げん)に渡って修行した、金陵(きんりょう)の鳳台山保寧寺(ほうたいさんほねいじ)に由来しています。また寺号は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から「平林寺」とされました。
鉄山禅師と家康
戦国時代に下り、関東一円は豊臣秀吉による小田原征伐の戦禍を受けます。岩槻にあった平林寺も多くの伽藍を失い、塔頭(たっちゅう)のひとつ聯芳軒(れんぽうけん)が辛うじて焼け残る有様でした。
そこへ、関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩に訪れます。途中、家康は休息のために、聯芳軒に立ち寄りました。軒主から平林寺の由緒を聞いた家康は、平林寺の再興を約束、復興資金と土地を寄進します。更に家康は、かつて駿河臨済寺にて共に学び、臨済禅を代表する傑僧となっていた鉄山宗鈍(てつざんそうどん)禅師を、平林寺住持として招聘(しょうへい)しました。
天正20年(1592)、平林寺の中興はここに果たされ、平林寺は建長寺派、大徳寺派の系譜を経て、妙心寺派としての新たな歴史を刻んでいきます。
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