浅間神社北口本宮 ※ウィキペディアより
全国にある浅間神社の一社である。富士登山吉田口登山道の起点にあたり、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されている。
人皇十二代景行天皇40年(110年)に、日本武尊が東方遠征の折、箱根足柄より甲斐国酒折宮に向かう途次、当地を通過、大塚丘に立たれ、親しく富士山の神霊を遥拝され、大鳥居を建てしめ、「富士の神山は北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。 延暦7年(788年)に甲斐守である紀豊庭により現在地に神殿を建て、浅間の大神を祀り、大塚丘には日本武尊の神霊を祀った。以後、逐次造営、改築され、現在の本殿は元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次により建立された。その後、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。 享保18年(1733年)、江戸の富士講村上派を率いる村上光清が、幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、隋神門を造営した。
拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木がある。中世には同社が所在する郡内地方の領主である小山田氏からの庇護を受けた。 富士登山道の吉田口の起点にあたり、江戸時代中期以降には富士講が流行し、上吉田ではこれを早くから受け入れたことから登山道の中心地となった。周辺には御師の宿坊が百件近く立ち並んだこともあるが、これは神社に属さない独自の宗教活動であった。
昭和初期には神社北の裏手から登山バス浅間神社 - 馬返線が運行していた。 当社は後述のとおり江戸時代中期以降「諏訪大明神」よりも「浅間大菩薩」「富士浅間明神」の名のほうが大きくなり、明治時代には「冨士山北口本宮冨士嶽神社」と改称。その後「浅間神社」とも名乗るようになり、1946年(昭和21年)に現在の「北口本宮冨士浅間神社」と改称した。
浅間神社北口本宮参道
本殿は1615年創建
拝殿の横にある手水舎(てみずしゃ)
ご神木の冨士太郎杉 根周りの広がり方が凄い!
ご神木らしい生命の息吹を感じる
御朱印頂きました。