訪問日:11-FEB-2006
概要 ※ウィキペディアより
富士山は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高3776.24 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。
古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山が盛んである。
日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連する文化財群とともに「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目である。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤りである。
富士山についての最も古い記録は『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もある。また、『竹取物語』における伝説もある。「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として、マレー語説、マオリ語説、原ポリネシア語説等がある。
明確に「富士山」と表記されるに至るにおいては駿河国に由来するとするものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。
山頂には火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むように位置する8つの峰を八神峰と呼ぶ。火口の南西側に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士山。標高3775.51m 2014年4月1日改算)、火口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.23m 2014年4月1日改算)が設置されている。火口の構造は、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は130mとある。
登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確定である。2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めないことを明言している。
国土地理院がインターネット上で公開している地形図では2013年10月から地図上の地点を指定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については非表示になるよう変更された。